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ラブライブ!はアイドル物ではない何か~アニメ「ラブライブ!サンシャイン!!」考察その1~

2016年夏アニメ「ラブライブ!サンシャイン!!」が終わって1週間が経ちました。


において「君のこころは輝いてるかい?」といったん締めましたが、ツイッターでおりあそ氏がラブライブ!サンシャイン!!(というかラブライブ!全体さらにはアイドル全般)について次のように評しているのを見て本記事を書くことにしました。

2017年3月6日修正

お品書き

 

 

ラブライブ!サンシャイン!!」は何だったのか?

ア.おりあそ氏のラブライブ!サンシャイン!!の総評より所感

おりあそ氏は、アイドルはなぜ魅力的なのか? あるいは、劇場版『ラブライブ!』はなぜ失敗作なのか。: \(^ω^\Ξ/^ω^)/という記事にて、大ヒットに終わった劇場版「ラブライブ!」を「ストーリーはあるが物語はない」とバッサリと誹謗中傷なく批判したことで昨年話題になりました。

 「ラブライブ!サンシャイン!!」13話自体の批判は既に様々なブログやツイッターで繰り広げられており、私も前話の感想記事で批判しています。このツイートの趣旨としては、『サンシャインの最終話は日本の学校教育の集団主義性を体現しているようなところが感じられて』という部分に集約されます。

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確かに、名古屋に夏休みに全校生徒が集結する場面に関しては幾ら小規模校とはいえ気味が悪いです。「なんで教員は誰も来ないのか?」という批判を13話の感想記事でしましたが、生徒の全員集結は「日本の学校教育の集団主義性を体現して」いましたね。自分も正直集団主義性は嫌いかつ苦手ですが、それをアニメの世界に求めてしまっていました(集団主義性が嫌いかつ苦手だからこそ会社を2回もクビになったとも言えますが)。

 

この一連のツイートを見て思ったことは、『「ラブライブ!」はアイドル物ではない』というものです。では「ラブライブ!」はどういうジャンルなのか?

私が考えるには、「部活物」・「マイルドヤンキー物」・「女版ワンピース」の3ジャンルであると個人的には考えるので、1つずつ考察します。

イ.部活物

「部活物」と思う訳としては普通の高校生が、スクールアイドル部という部活動を立ち上げているのではないかと思います。部活物かつ「ラブライブ!」という大会を目指しているのに関わらず、顧問の不在などリアリティに欠ける場面が多々ありました。最も大人不在でも、これが「けいおん!」のように大会を目指さないのならばさして問題ではないです。実際、経験上から緩い部活なら顧問は形だけということもあるでしょうし。これが大学の部活動ですと、顧問とか形だけですし。

 

ところが本アニメは最終話に限って、リアル社会の日本の部活物の悪い点が最終話で出てしまったようで、おりあそ氏は

個人的には、サンシャインの最終話は日本の学校教育の集団主義性を体現しているようなところが感じられてつらかった。Aqoursを応援するためにスクールアイドルの東海地区大会に全校生徒がやって来るという展開なんか、甲子園に出場する野球部のために動員される吹奏楽部の話を彷彿とさせた。

ということを述べております。

 

甲子園に出場する野球部のために動員される吹奏楽部は、今年の夏の甲子園熊本県代表の秀岳館高校吹奏楽部のことですね。

 甲子園のスタンドでもう一つの夏が燃焼した。16日の全国高校野球選手権大会で、秀岳館(熊本)のベスト8進出を支えた同高吹奏楽部。部員たちは、この夏の吹奏楽コンテストの南九州大会出場をあきらめ、全国制覇を目指すナインとの夏を選んだ。「甲子園が僕らにとってのコンテスト」。伸びやかな演奏が歓声とともに夏空に響いた。

 吹奏楽部は部員21人。4年連続の出場が懸かる南九州小編成吹奏楽コンテストの県予選を翌週に控えた7月26日、野球部が甲子園切符を手にした。

 南九州大会は8月11日。県予選を通過しても、甲子園の応援を優先すれば大会には出られない。コンテストか、甲子園か。7月下旬の職員会議は2日間にわたった。多くの教員が「コンテストに出るべきだ」と主張した。吹奏楽部の3年生6人も話し合いを重ねた。「コンテストに出たい」と涙を流す部員もいた。

秀岳館吹奏楽部「野球部と日本一に」 大会断念し甲子園へ - 西日本新聞

2016年10月2日閲覧 http://www.nishinippon.co.jp/nsp/koushien_kumamoto_2016/article/267365

 この件は、圧力がかかっていたそうで炎上したそうです。

【続報あり】秀岳館吹奏楽部が甲子園のためにコンテスト断念したと大炎上→内部事情がリークされる「学校が生徒に圧力をかけた」 - Togetterまとめ

さしずめ、秀岳館高校の生徒の関係性で考えると13話の浦の星女学院スクールアイドル部は秀岳館高校野球部でその他の生徒は吹奏楽部員と見立てることが出来ます。田舎の高校で全員集めるということは、たとえ自分たちの部活で大会が有ってもそうそう休めないという「同調圧力」がかかっているでしょう。もしも、応援に参加しなければ2学期からハブになってもおかしくありません・・ 

 

まさに「ラブライブ!サンシャイン!!」の舞台は悪い意味の部分だけは、立派に「部活物」です。廃校の要因は立地や以前考察した教員の無能だけでなく、「同調圧力」が強いというのも一因にありそうです。

 

ウ.マイルドヤンキー物


 上の記事の要約をしますと、

ラブライブは最初からヤンキーによるヤンキーのためのマイルドヤンキーアニメだったのだ。」ということですが、流石に乱暴すぎるのでもう少し考察します。

そして主人公達は地元民の期待を背負っている。この結束感こそがマイルドヤンキー魂の生まれる土壌だ。
その結束感ゆえ彼女らは大会のルールを叩き壊し、自分たちの地元と自分たちが盛り上がるためのパフォーマンスに興じる。
そう、彼女らは自分たちが内輪で盛り上がりかつ自分たちの存在を知らしめんためにルールという檻を叩き割るのだ。
ここにラブライブのヤンキー文学が集大成を迎えたといえる。
一作目のラブライブは、この現代社会の中で自分たちの存在を認めさせる方法としてラブライブで健全にのし上がるという方法を取った。
しかし二作目にしてついに、ラブライブのルールという枠組みに囚われず自分たちの信じる道、自分たちがこの一瞬を輝ければ周りの迷惑も今後のアイドル活動すらも投げ捨てる道を選んだのだ。
最終回にこの話を持ってきたということは、制作側は視聴者にこの姿をロックだと感動して欲しかったのであろうことがわかる。そうでないのならもっと前にこの話をやり、ルールを破るのは流石に駄目だと反省させる物語の作り方をするはずである。だが、これに感動できるのはヤンキーだけだ。心をヤンキーにしなければルール無用の大会荒らしで涙など流せはしない。

マイルドヤンキーの物語、ラブライブ 

http://anond.hatelabo.jp/20160926212801

 青字部は、ダイヤの3話の発言や9話で花火大会のイベントで歌う機会があることから「街の人の善意」があるのは間違いありません。

赤字部を皮肉って、この記事の著者は「マイルドヤンキーの物語、ラブライブ」とタイトルを銘打っております。

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私も13話の感想で、赤字部のシーンは批判しました。

あの場面は大会なのに勝敗を投げる行動で非常にいただけない行動で、Saint Snowが見ていたら後で罵倒どころか口もきいてもらえないでしょうか。私もいただけないと思い、批判しました。

ラブライブ!サンシャイン!!アニメ13話「サンシャイン!」感想~「君の心は輝いているかい?」~

 エ.女版ワンピース

サンシャイン!!だけでなくμ'sもそうですが、ラブライブ!というのは女版ワンピースであると勝手に思っています。とはいえ、私は「ワンピース」に関しては漫画も読んだことが無く、アニメも見たことがありません。という訳で別の著書から、「ワンピースの特徴を引用し考察したいと思います。

 先述の『ルフィの仲間力』という本の中で、安田雪氏はこう述べている。

仲間とは、ある程度永続性が保証されている組織です。仲間について、「次の日も、その次の日も、一緒にいることを疑わない状態」と定義することもできます。

だからこそ、そのような状態を脅かす敵や危機に対して、ルフィたちは敏感に反応します。一緒にいることを壊す悪意とは徹底的に戦うのです。

「君に友だちはいらない」瀧本哲史 p94-95

 ラブライブ!シリーズは9人ありきのプロジェクトで、9人から基本的に増員も減員もされません。9人以外のキャラクターが登場してもそれはシナリオ上の舞台装置or数合わせにすぎません。個人的には、この9人至上主義がアニメでは弊害を起こしたと言えるのですが・・・

◎舞台装置の代表例


スクフェスでの数合わせ


逆に9人が離脱する自体は例え世間的に正しいとされることでも悉く否定されます

<何故ことりは留学を決めたのか>
・アニメ中にはことりが進んで留学をしようとしている描写はなく、海未も、ずっと行くかどうか迷っていた、むしろ行きたがっていなかったように見えた、と言っている。
それなのに何故ことりが留学を決めたのか。それはことりにとって、留学に行くことが世間的に「正しいと思われる選択肢」だったからではないか。昔から服飾を学びたいと思っていて、母親の知り合いの学校の人に誘われた。本心では行きたくないと思っていても、それはことりにとっては世間的に「間違っている」行為であり、どうしても自分一人ではその選択肢を選ぶことができなかったないだろうか。

【アニメ1期】第12話「ともだち」【感想・考察】 : ラブライブ!のきせき

 この場合はことりは「留学に行きたくなかった」という結論で、最終回で穂乃果が全力で空港まで行って阻止することになります。このプロジェクトで、ことりが「留学に行きたい」という結論を出すことはありえないのです。なぜなら、留学というものは『一緒にいることを壊す悪意』そのものですから。

 

ラブライブ!サンシャイン!!」で鞠莉が留学なんて行きたくなかったと語り、「無駄な2年間」と切り捨てましたが、これも留学を『(果南やダイヤと)一緒にいることを壊す悪意』とみなしている製作者側の意図なのでしょうか。

 

「ワンピース」に関しては全く詳しくなく興味もないのでこれ以上は語りませんが、ともかく「一緒にいることを壊す悪意とは徹底的に戦う」という観点は女版ワンピースといって良いでしょう。

 

なお、先ほど引用した「君に友だちはいらない」の著者瀧本哲史氏は本物の海賊は「厳しい海の世界で生き抜くため」に仲間を作ると語り、「ワンピース」をファンタジーとバッサリ切り捨てています。もしも瀧本氏がサンシャイン!!を批評することが有れば、12・13話でラブライブ!優勝という道を切り捨てた「ラブライブ!サンシャイン!!」のAqoursもファンタジーと切り捨てられると思います。

君に友だちはいらない

君に友だちはいらない

 

 

まとめ:排他的なラブライブ!の世界

一言で言いますと、ラブライブ!の世界はアイドル物ではなく部活物&女版ワンピース&マイルドヤンキー物です。この3つに共通するのは排他的な世界で3つの世界観を組み合わせた結果、きわめて排他的になってしまったのです。アイドル物としては、アイドルマスターが代表的ですが765プロに関しては13人原理主義という排他的世界に陥っています。アイドルマスタープラチナスターズは評判が悪いですが、運営の無能さ云々以前に765の13人でできる物語に限界があると言えます。

 

ただ11年とコンテンツの老朽化が否めないアイマスはともかく、始動から2年であるラブライブ!サンシャイン!!に関してはまだ排他性からの脱却のチャンスは残されています。残念ながら2016年夏放映の1期は1クールを大人の事情によるμ'sの登場ノルマとその脱却に費やしてしまいました。ですが、大人の事情から解放されるだろう2017年秋から放映の2期では排他的な世界観からの脱却と豊富なサブキャラによる掘り下げに期待を寄せて本記事を締めたいと思います。

2期の期待点と不安はコチラ

【速報】ラブライブ‼サンシャイン!アニメ2期放映決定に向けて 

 

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