そう考えると、グローバリズムで平和なんて絶対あり得ないです。
はい、こんにちは!グローバリズムで世界平和なんて幻想としか思えない笹史(@sasashi1992)です!
皆さんが何かやりたいとき、例えば社会人ですと転職や独立、学生でも大学選びや習い事なんかで周囲に「これをやる」と報告・相談によって反対された経験は1回は有ると思います。むしろ今までやろうとしたことに一回も横槍が入ってないのは、優等生的な生き方をしてきているのでそれはそれでマズイと思いますね。
例えば、入社2年くらいで別の職種に転職する場合、親や上司に転職を相談すると「石の上にも3年」とか言われて反対されることが多いですね。最近の若い人は「石の上にも3年」よりも「3年にこだわらずやりたい仕事でベストを尽くすべきである」という考える人が多かったりします。
では、若者ならみんなが「3年にこだわらずやりたい仕事でベストを尽くすべきである」という立ち位置かというと、やりたい仕事より待遇を重視する場合は「やりたい仕事とか求めずしがみつけばいいのに」という発想なので入社2年で転職したいという人間を理解できないです。
自分の例はともかく、このように1つの事柄について意見が人によって異なる場合が多々あります。今回は、なぜ同じ物事に対して人それぞれ意見が異なることがあるのかについて書いていこうと思います!
お品書き
世の中の 全てはポジショントークである
結局、人の発言は全てポジショントークに過ぎないんじゃないか、ということをよく考える。人間は自分がどういう環境で生まれ育ってどういう環境にいるかによって、見えるものが全然違ってくる。そして、見えるものが違うと考えることも異なってくる。物事なんて、「どういう立場から見るか」という目線の置き方によって丸にも三角にも四角にも見えるものだ。
本記事で言いたいことは、上の引用部、特に青字部に尽きますね。
人の意見なんて、万人が同じなんてあり得ません。人に相談した時に限らず、医学系の新書なんかで「ガンは直すべき」とか主張する医者がいれば「ガンなんて放っておけ」という医者がいるのも、それぞれのポジションで都合のいいことを言っているだけですね。もちろん客観的に見せようとするために本とかでもデーターとか持ち出してくるでしょうが、それとて主張に反するデータをわざわざ出してくることはありません。
参考記事: WELQ騒動についての見解~無料でも有料でも医療情報はデマばかり~
上の記事では、医療情報がデマばかりと書きましたが、デマで無い情報というかポジショントーク同士の対決になるのでデマでない情報を見分けるのは難しいです。
会議なんかでいくら話し合っても、100人が満場一致で同じ意見になるなんて無理な話で多数決になるのも、意見が立場の違いによって作られたポジショントークだからです。個人的には、多数決とかも「数の暴力」とか批判されますが必要悪で、話し合いで解決しましょうなんてきれいごとをのたまうよりはマシと思います。
終わりに:この記事もポジショントークに過ぎない
と言っておいて、あれですがこの記事もポジショントークに過ぎません。
ひとつだけ言いたいことが有るとすると、転職とか個人的なことでさえ親や上司の(ポジションの違いによる意見の相違のせいで)熾烈な反対が起きるのに、世界平和をグローバルで話し合いで解決しようというのは反吐が出ます。まだ、軍備力で叩きのめす能力を持ってそれでパワーバランスを保って戦争状態を回避する方が、真理を付いていると考えます。
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