小学校から大学まで16年間も大学に通っていましたが、本当に時間と金の無駄遣いでしたね…
学校より独学推進派の笹史(@sasashi1992)です!
学びたければ、学校というのは私が言うまでもなく日本いや世界の常識となっております。しかし、学校に通って真剣に学んでいる人はどれくらいいるのでしょうか?
こんな風に、
授業中に眠って漠然と50分間を過ごしてるだけという人も多いのではないでしょうか?かくいう私も、居眠りしていたこともありましたが、学生生活を終えた今ですと本当に時間の無駄だったと後悔しています。寝るならベッドで寝た方が生産性高いですし。
かといって本当に学びたい分野があっても、学校で学ぶのは生産性が高いとは言えません。大学とかでもやる気の無い連中に合わせて楽勝授業だったり、やりたい研究分野を扱ってなかったりしますし。今思うと大学より能率的に学ぶ手段は幾らでもあったと思いますね。
という訳で、漠然と学校に通うのは時間の無駄である論&本当に学びたいことはどうやって学ぶかをホリエモンの言葉も交えつつ取り上げていきたいと思います。
お品書き
1.学校はやっぱり時間と金の無駄!
ア. 授業で居眠りとかネトゲより時間の無駄です
冒頭でも取り上げましたが、学校の風物詩と言えば授業中の居眠りです。アニメや漫画などの学園物でも定番のシーンで、
といった光景が2次元,3次元を問わずよく見られます。
しかしこのような時間は今思うと、本当に無駄な時間であるなぁと後悔しています。高校時代に同級生から「内職はいいけど、寝ることだけは辞めろ」という忠告を受けましたが、今思うと本当にそう思いますね。
しかし、3次元ではともかく2次元では授業で居眠りしている登場人物も授業が終わると魚が水を入ったように生き生きとします。その多くは、部活動と呼ばれるもので、生き生きとするわけはホリエモンの言葉を借りれば「没頭」している状態だからです(詳しくは後述)。
上の画像の居眠りをしている女子高生はかつてブームを巻き起こしたアニメ「けいおん!」の主人公の平沢唯ですが、唯も(おやつを食べたりすることも多いですが)所属する軽音楽部のギターのことになると時間を忘れて練習することもしばしばあります。
授業で居眠りをしているのは、授業がつまらないとかいう理由もありますが、何より授業に「没頭」どころか自ら学ぶ内容を欲してないからといえます。欲してない内容を居眠りでやり過ごすほど時間の無駄はありません。ダラダラ惰性で続けるネトゲと同レベルで無駄です。むしろ寝るにしても、ベッドで寝た方が生産性が高いのでネトゲ以下とも言えます。
こんな調子で高校3年間や大学4年間を過ごしてきた成れの果てが、大人たちの「もっと勉強しておけばよかった」という嘆きの言葉なのです。
イ.学校で浪費される金もどうにかすべき論
はっきり断言しましょう。大学に限ったことですが、
99%の人は大学に年間100万円以上もかける価値はありません。
現時点では、100万円かけてもいい人達はコチラ(それでも彼らもこれからはどうなるか分からないですが)⇒大学に行く価値のある学部~読書とネットだけでは学べない現実~
基本的には学びたければ、本とPCで独学しましょう。こういう内容の記事を以前にも、【大学中退問題】「お前ら、大学に遊びに行くのか?」で書いたことがありますが、大学とか学問をしたい人ですら無駄になってきている機関であるなぁと人生経験を積んで思いますね。
学費関連で以前twitterでこのようなつぶやきを発見しましたね。
教師の友人と話をしていて最近の大学の学費の高騰っぷりに驚愕。私立理系で200万弱かかる。と思ってちょい調べたら文学部で150万とかするのね。。(初年度)これ絶対回収出来ないから行かない方がいいと思う。https://t.co/Mexswn4lam
— 渡辺健太郎 (@kentarowatanabe) 2017年1月3日
奨学金と言う名の学生ローン利用率が50%越え。世帯年収は20年で100万/万下がり、学費は1.5倍。長いデフレのなかこの上昇率は異常。借金してまで入る価値なんか大学にないのでそこそこの大学に入り後期の事業料払う前に中退するのが1番合理的だね。
— 渡辺健太郎 (@kentarowatanabe) 2017年1月3日
私は大学は奨学金は借りずに行っているので、ローン地獄には陥ってないですが、私立大学の農学部学費が初年度150万でしたが就職が上手くいかないこともあり全く回収の見込みなしです。就職がうまく行ったとしても、大学で学んだことが生かせて、それなりの収入が得られる職でないと大学に通う意味ってないじゃないでしょうかと感じますね。
新卒では、中小企業の漬物の製造職(現場作業)に入社し、「適性のない仕事」に就職すると3ヶ月でクビになります@食品製造 のような結末を迎えました。しかし、仮に今も続いていても大学で学んだことは1㎜も生かせなかったでしょう。大卒だと、中卒や高卒よりも無駄に即戦力扱いされる上(実際に会社の人に言われました)に、年齢重ねている分だけ転職などでやり直ししづらいのでかえってマイナスの要素が大きいです。
特に中小企業にしか入れないなら、義務教育終えた段階で企業に入り込んでOJTを重ねながら独学で勉強していった方がまだマシです(資格がいる仕事は例外)。
では、現代の学びは「学校」ではないところのどこで、どうやって行うのか? それをこれから取り上げていきたいと思います。
2.「部活動」をヒントに! 学びたければ「没頭」せよ。
授業中で居眠りしている学生も、部活動になれば魚が水を得たように生き生きとしだす。そのような光景は3次元,2次元を問わず不変の光景です。
ホリエモンこと堀江氏は、学びの本質を著書で次のように語っています
僕の言う「学び」とは没頭のことだ。わき目もふらずに没頭し、がむしゃらに取り組める体験のすべてが「学び」だと僕は思っている。だから、没頭する対象は数学や英語、料理だろうと、ダンスだろうと何でもあり得る。すなわち、その人が心から没頭できていれば、対象は何であれ、僕はそれを「学び」ととらえる。 『全ての教育は「洗脳」である21世紀の脱・学校論』p87-88
こう考えると、部活動で生き生きとしだす学生は、「没頭」していると言えますね。
一方、学校の授業で「没頭」するのは困難、いや無理ゲーです。
今僕たちが目にする教科書も計算ドリルも、すべて誰かの没頭の副産物にすぎない。それらをただ漠然となぞるお行儀のよい「お勉強」の中に、学びの本質は存在しない。新しい知識を切りひらき、新しい仕事を生み出し、あなたを未来へと突き動かす本当の学びは、没頭の中にこそあるのだ。『全ての教育は「洗脳」である21世紀の脱・学校論』p92
付け加える言葉としては、居眠りをする学生にはすべて誰かの没頭の副産物にすぎない。それらをただ漠然となぞるお行儀のよい「お勉強」の馬鹿馬鹿しさに気づいたという見方ができるということでしょうか。よく「文武両道」という高校のスローガンで掲げられますが、武の方はともかく文の方は受け身の勉強なので馬鹿馬鹿しいとしか思えません。受け身の勉強も基礎的な読み書き計算を身に付ける団塊では必要ですが、高校ですとその段階は超えていますし。
こう考えると、文武両道で武で部活動を推奨し、何かに打ち込んでほしいという狙いも理解できます。「没頭」という経験をさせるためです。まあ、学校側が推奨しているのでこれもホリエモン曰く「洗脳」の1種ですが…
結論として、ホリエモンのいう「没頭」のイメージは学校の部活動に打ち込む学生を見れば何となく掴めるでしょう。
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