現代社会では、ソロで生きることを好むと好まざると考えざるを得ないですね…
ソロ予備軍の笹史(@sasashi1992)です!
前回に引き続き、『超ソロ社会「独身大国・日本の衝撃」』をたたき台に結婚せずにソロで生きていく社会≒超ソロ社会での生き方を考えていくことにします。
お品書き
1.これまでの消費者の心理(前置き)
まず、現代の消費の単位が「家族」から「個」に移り変わっていることを頭に入れておいてください。と言っても、「家族」を構成していたのも「個」の集合体に過ぎないのですが。その上で、どのような商品が選ばれるかというのは時代の段階による消費者の意識によって変わります。
日本では、高度経済成長期では所有そのものを求める大量消費・大量生産の「モノ消費」が主流で、代表的な売れ筋商品は洗濯機・冷蔵庫・白黒テレビの「3種の神器」やカラーテレビ・車・クーラーの「新・3種の神器」が挙げられます。時代が下ると、大量消費・大量生産の価値観は薄れ「差別化・個性化」という点が重要視されるようになりました。他と同じでは嫌だという。とはいえ、所有そのものを求める「モノ消費」の傾向は昭和が終わり平成になっても暫くは変わりませんでした。
しかし、携帯・PHSの普及,さらにインターネットの普及が消費の意識を決定的に変えるきっかけとなります。所有そのものに価値を求める「モノ消費」からそのモノを買うことによってどれだけの体験を得られるかに価値を求める「コト消費」にシフトしていった時代です。
現代社会で良く「○○離れ」というニュースが団塊世代の説教的なニュアンスも込めて発されますが、例えば「クルマ離れ」にしてもたとえ地方でも移動手段としかとらえてない一般人なら、中古の軽自動車という乗れればいいという価値観なので普通の新車が売れないのも当然と言えますね。このように、生活に必須だけど体験とかどうでもいいなら、安い外国製の製品や中古で済ませ、体験が得られず生活に要らないなら持たないというスタイルが始まったのが「コト消費」に移り変わったこの時代でしょうか。
イ.これからの消費者に選ばれるのは「エモさ」の有無
さらに現代では、「コト消費」から消費の意識が変わろうとしています。きっかけは、社会のソロ化の進行です。モノの消費やモノによる体験はもはや手段と化して、精神の安定が消費に求められるようになってきています。
そのような消費傾向を「エモ消費」といいます。「エモ」とは「エモーショナル」の略ですが、定義には諸説あり「心が動いた」「心に刺さった」という感動的な意味合いの場合や、「なんか、上手く説明できないけど良い」といった論理的なものを超越した情感を指す場合もあります。ネットスラングでは「エモい」と言われたり。
『超ソロ社会「独身大国・日本の衝撃」』の筆者は、「エモ消費」の傾向を掴めるかどうかを今後の消費のポイントとして挙げております。具体例として本書中で、「君の名は。」と「PPAP(ペンパイナッポーアッポーペン)」の2つを挙げています。
君の名は。感想記事:映画「君の名は」感想~笑いも涙もないが良作でした~
これは完全な個人の思い付きなのですが、「エモ消費」といえばブログも入るのではと思います。blogで稼ぐブロガーやyoutuberも「モノ消費」や「コト消費」ではなく「エモ消費」の欲求をくすぐっていると考えれます。まあ現状ではブログやyoutubeの広告収入という「モノ消費」や「コト消費」の欲求をくすぐって稼いでいる人が多いですが、noteなど有料の記事も少しづつ増えてきているので「エモ消費」そのものに金を払っていく時代はすぐそこでしょうか。
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