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「石の上にも3年」と学校と心境

社会人となって、丸三年になります(職を転々とし、かつ無職であった期間も長いので社会人として丸3年働いていたわけではないが)。

 

世間一般で言う、「石の上にも3年」を経験したわけですが、少なくとも今まで社会人をやってきた中では、学歴と実務能力の相関は無いですし、学歴相当の能力・知識など実務には関係ないのではという結論に達しました。

 

私の勤務した数企業はいずれも中小企業と呼ばれるのが関係あるのかもしれないですが、たぶん大企業でも大差はないしょう。

 

 

はっきり言ってしまいしょう。「学校に行っても仕事が出来るようにはならない」と。

 

学校が実務能力を付ける場所でないとすると、一体何なのか。良く言われるのが、社会で生きていくための一般教養を身につけるためであるということですが、この考えも否定していきます。

 

専門科目中心な大学はともかく高校までは、(特に普通科では)様々な教科を勉強しますが、私の場合熱心に勉強する学生で無かったせいか、大半の内容を忘れてしまいました。そのため、現在は教材を買い直して学び直している有様です。

 

Atush氏が学校の存在そのものを、社畜養成機関と以下の記事で批判していますので、一部引用すると

今から思うと、学校の授業というのは長時間拘束されていたなと感じてます
 
大人でもアレだけ座りっぱなしで延々と授業を聞かされるのって相当の苦痛ですが、更に宿題なんてものも上乗せされ、家でも強制的にやらされます

 
アレってよく考えると

学校の授業(定時勤務内) + 宿題(残業)
 
という事に解釈できるので、学校ってのは潜在レベルで社畜を養成してるということに
 
「子供は勉強が仕事」なんて価値観もあるみたいですが、それに当てはめると長時間労働を推奨してることと同意義じゃないでしょうか?

学校による義務教育は社畜養成の洗脳にしか思えない | お前ら、社畜で人生楽しいか?

 

一字一句同感で、これに付け加えますと、私の場合自称進学校のせいか夏休みの補講に強制参加させられましたがこれは企業で言えば休日出勤,高校入試で大きく重要な内申点は教師(≒上司)への忠誠心で評価を決めるシステムに当てはまるでしょう。

 

本記事のちょうど1年前に、学校では教養はつかない。ホリエモンの教養論~『全ての教育は「洗脳」である』~ にて堀江氏の『全ての教育は「洗脳」である』という著書を読んで学校では教養はつかないということを述べました。

 

率直に言うと、(少なくとも日本の学校では)身につくのは教養でも実務能力でもなく社畜としての精神であるのです。これは、「石の上にも3年」社会人をやってきた率直な感想であります。現在のキャリアが順調とは言えない現実とも合わせると、小中学校に関しては義務教育でやむを得ないにしても、究極的には中学時点での進路選択を誤ったということになります。

 

結論から言って、高校からの人生10年を無駄にした。それが今の心境である。