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【ネタバレ注意】劇場版ラブライブ!サンシャイン!! レポート&感想-去り行く3人と残る6人-

笹史です。

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 アニメ2期13話終了後に予告されていた、映画「ラブライブ!サンシャイン!! The School Idol Movie Over the Rainbow」が2019年1月4日(金)についに公開されました!  映画は基本的に見ないので、映画の感想記事は「君の名は。」(サンシャイン!!1期が終わって終盤の展開にあんぐりしていた直後)以来となります。

 

私は初日舞台挨拶中継付きの回を見に行き、久しぶりにアニメ終了後からやや冷めかけていた(ミリマスに浮気していた)ラブライブ!サンシャイン!! が再燃してきたので感想記事を書いていきたいと思います。

 

前作ラブライブ!も映画「ラブライブ!The School Idol Movie」が2015年に公開されておりますが前作に関しては全く見ていません。その当時はまだブログを始める前で、当時はアニメは未試聴だったものの、ラブライブ!自体に多少興味はあったのですが、新卒の企業で精神を病んでいたこともあり全く見ていません…  なので他のブロガーさんのように前作と今作の比較はあまりしないつもりです。

 

ブログ記事で内容を知っている程度ですからね。この記事とかで。


ちなみに映画への期待値は、アニメ2期13話感想で以下のように書きました

まず「劇場版制作決定!」、本編ではないですが一番のツッコミどころです。どういう出来かは見てみないと分からないのですが、正直劇場版は蛇足だと思います。劇場版自体がダメなのではなく、本話を終えた時点でどうみてもAqoursの物語は完結しているのに無理やり感が半端ないです(μ`sのときも些か無理やり感がありましたが…)

ラブライブ!サンシャイン!!2期13話「私たちの輝き」~浦の星の死と千歌と~ 

  こんなことを書いたのですが劇場版を見た後では、「蛇足」という言葉は撤回したいと思います。なので「映画」単体の完成度としては100点満点をつけたいと思います。が、正直劇場版をアニメの続編として考えると様々な疑問点が残りますので後で触れます。

 

 

 

要注意:ここからは、映画の具体的な感想となりますが「ラブライブ!サンシャイン!! The School Idol Movie Over the Rainbow」のネタバレしかありません。未視聴の方は映画をご覧になってからお読みいただくことを強く推奨いたします。むしろネタバレせずに感想を書けるならば映画評論家に転職したいくらいです。

 

未視聴の方は、ラブライブ!サンシャイン!!劇場版~初日舞台挨拶から見どころを教える!~をどうぞ!ネタバレにならないように見どころを紹介する記事となっています。

 

 

続きを読むから感想をどうぞ! 

 

 

 

要注意:ここからは、映画の具体的な感想となりますが「ラブライブ!サンシャイン!! The School Idol Movie Over the Rainbow」のネタバレしかありません。未視聴の方は映画をご覧になってからお読みいただくことを強く推奨いたします。むしろネタバレせずに感想を書けるならば映画評論家に転職したいくらいです。

 

お品書き

 映画を見るまで

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 映画の戦利品です。マグカップやらポスターやら沢山ありましたが、この手のグッズは買わないタイプ(部屋が汚部屋になるので...)なので無視です。

 

今回109シネマズ四日市で見たのですが、1時間くらい前に到着しそこそこ並んでいたので発券だけ済ませて下の本屋で時間潰しを行っていました。

 

遅ればせながら、これ買いました。映画記事書いたら再読して考察記事を書く予定です。

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ラブライバーは民度がどうこう言われたりしますが、変な輩も居ずに平和に見ることが出来て無事に帰宅できました。という訳で、ここから映画の内容を書いていきたいと思います。

 

最初は項目ごとに纏めて考察しようと思いましたが、きちんとメモを全体的にとっていたので映画の流れに沿って順々に突っ込んでいきたいと思います。項目ごとに纏めて考察するのも時間かかりますし。

 

映画開幕~OPまで

フォトセッションという名の宣伝タイム

↓SNSで#Aqours などと共に流れてくる一枚絵です。

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 プチ曜ちゃんが、「TwitterなどSNSにあげてラブライブ!を盛り上げろ」と露骨に番宣ならぬ映宣をするように言ってきたのでSNSにアップする予定はないですが撮影しました。

 

 やっていることは営業ですが、渡辺曜さんがいうと、嫌らしさ0で皆さんパシャパシャと撮影していたので営業職向きといえます。(一応)体育会系ですし、高飛び込みもよりも堅実な進路言えるでしょう。

 

  シチュエーションとしては上の画像を見れば分かりますが、「初詣」でおそらく2期10話のあたりでしょう。一応台詞付きでみかん飴がどうこう言っていましたが、こんなことを長々といっていてもしょうがないので、本編に移りましょう。

 

プロローグ~いきなりロリな場面からスタート~

千歌 すごーい。あんなに遠くまで飛んだ

 次は千歌ちゃんの番だよ

(上手く飛ばせない)

 千歌 もっと遠くに飛ばせると思ったのに

そこに幼梨子(らしき)人物が...

 なんでロリ梨子がいるって? 自分が知りたいくらいです。梨子の生まれ故郷が実は沼津で千歌と出会う直前位に東京に引っ越したとか後付け設定が生まれると、またややこしいですがそんなことはなく単純に千歌の夢的なシーンor0.001%くらいの確率で桜内家が沼津に観光に来たのでしょう。最終盤や『HPT』のPVにロリAqoursが勢ぞろいしていることからして、おそらく夢でしょう。

 

 

飛ばそうとしているのは、「紙飛行機」です。しかし上手く飛ばせません。飛ばせないのは、何もロリ千歌の運動神経が鈍くさいからではありません。そんなしょうもないことを映画の出だしを使って表現するほど、いくら何でも酒井監督や花田十輝氏がするわけがありません。あとはロリな場面も別に制作サイドの趣味ではなくきちんと意味があるので、そちらも併せて考察していきたいと思います。

 

ラブライブ!サンシャイン!!において紙飛行機は2期以降では非常にメタファーとして重要なアイテムで、2期の1話ラストで千歌が廃校という現実に向かってあがこうと宣言して逆上がりする場面や

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 2期OPでAqours9人が夕焼けの砂浜に走っていくシーンでも紙飛行機が飛んでいました

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 紙飛行機の解釈についてはこれだけで1記事書けるくらいのテーマですが、そんなことをしていては1ヶ月くらい本記事に費やさないといけなくなるのであにぶさんのブログの解釈を引用したいと思います。

この「紙飛行機」は、未来は分からないけれど諦めたくない!奇跡を起こしたい!精一杯あがきたい!
そんなAqoursの『これから』が表れているのではないでしょうか。

『ラブライブ!サンシャイン!!』「紙飛行機のイミ」と「TVアニメ2期」について考える - あにぶ

ひねくれずに考えれば解釈はこんなところに落ち着いていくでしょうか。

 

千歌というのは、1期1話の次のような描写から見ても分かるように幼少期から基本的に何かに打ち込んだ経験というのが皆無です。

 

正直スクールアイドルやらなければ、良くて「可もなく不可もなく」、この世知づらい世の中ですと「Fラン進学から中退して非正規転々コース」も十分にあり得るわけで先が見えていると言えます。

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そんな状態で、奇跡とかへったくれもないわけです。なので、上のような解釈に沿えば紙飛行機が上手く飛ばせないのは当然です。ロリの場面が登場したのは、幼少期から千歌の本質が何かに打ち込んだ経験もなく漠然と生きていたということを示唆していると言えます。

 

 ロリの場面の意味で千歌だけでなくも登場したのは、この時曜はすでに水泳を始めていたことから何かに打ち込んでいた曜と漠然と生きている千歌の対比でしょう。梨子の登場シーンは、これこそ梨子は小さいころに千歌を見たことがあると思わせぶりなシーンを作ってファンに妄想を促すファンサービスの可能性が高いですね(アンソロで1人位ネタにしそうです)。いかにも取って付けた感が大きいですから。

 

 なぜ漠然と生きていたか? ヒントとしては2期13話で千歌母が昔(幼少期から)千歌の評価を語ります。

千歌母 ねぇ、覚えてる?

昔の千歌はうまくいかないことが有ると人の目を気にして、本当は悔しいのに、ごまかして、諦めた振りをしていた。紙飛行機の時だってそう。

千歌 ねぇ?  千歌母 何? 

千歌 私、見つけたんだよね? 私たちの輝き。あそこにあったんだよね?

千歌母 本当にそう思っている?

  赤字部は千歌の辛らつかつ率直な評価です。千歌母の台詞を借りますと、『うまくいかないことが有ると人の目を気にして、本当は悔しいのに、ごまかして、諦めた振り』をしていたから、奇跡を起こそうとあがく前に諦めて漠然と生きてしまったということが考えられますね。

 

 スクールアイドルに関しても1期8話で得票数0だったときも「本当は悔しいのに、ごまかして、諦めた振り」を途中まではしていました。あの後で梨子たちが千歌を見つけて抱き締めた?シーンから、話はいい方向に向かいましたがあのまま行けばスクールアイドルも辞めていてラブライブ!サンシャイン!! (Bad end)でもおかしくありませんでしたね。

 

ロリロリしいスタートですが、いつまでもロリ千歌やロリ曜を映していてもしょうがないのかいきなり千歌高校2年3月に時はワープします。

 

「Aqours」のこれからの話

 13話の「wonderful stories」終了後、3年生から1・2年生に対してこれからの「Aqours」の件についてお話があると告げられます。つまり3年生は最期に一曲歌うためだけに戻ってきたのではなく、むしろこれからの「Aqours」の話し合い?のために最初から戻ってくる算段だったということです。

 

 

13話の途中で、

千歌母 3年生の子たちはもう発ったの?

千歌 鞠莉ちゃんもダイヤちゃんも果南ちゃんももういないよ。

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 ということでもう3年生は出てこないんだ…と思っていたら

 

13話ラストの体育館で

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  夢じゃないよ

果南 千歌とみんなで歌いたいって

鞠莉 最後に

ダイヤ この場所で

善子 約束の地で

花丸 待ってたずら

ルビィ 千歌ちゃん

梨子 一緒に歌おう!

8人 一緒に!

 からの「wonderful stories」でおおっと来た記憶があります。

 

 そこに来て、Aqoursのこれからについてって...μ'sの場合はアニメ2期で結論を出した(9人だけがμ'sなのでおしまいにする)うえで、劇場版では周囲からの期待でどうするの?という感じだったのでそういえば言及されてなかったのを1年来に思い出しました。

 

 ラブライブ!決勝までは大会に全力に打ち込むのでAqoursのこれからなんて考えられないのは当然でしょう。アニメ12話終了~閉校までに話し合っておくべきだったんじゃないですかね?と一瞬思いました。余程閉校のこと(最終回記事の副題の一部は「浦の星の死」)がショックでAqoursのこれからなんて頭から抜けていたに違いありません。

 

確か3年生が唐突に帰ってきた件については、2期13話感想では

?? 3年生の皆さん旅立ったんじゃないんですか? 劇場版決定ほどでは無いですが、冗談抜きで突っ込みたくなったシーンです。 

整合性とか考えないのはラブライブ!の常ですが、それなら3年生は旅だったよという先ほどのシーンを入れる必要は無かったんじゃないですか?と。

μ`sの時は最終話で3年生が旅立ったシーンは無かったですし(進路未定なので当然ですが)、入れた意味が分かりません。

ラブライブ!サンシャイン!!2期13話「私たちの輝き」~浦の星の死と千歌と~ 

 といった感じで書きました。劇場版を見てわかったのは、旅立ち→帰ってきたの自体計画的犯行ということだけです。旅立ちのシーンの意味は結局わからずじまいです。視聴者および千歌へのミスリードというのが自然でしょうか。

 

OP「僕らの走ってきた道は…」

  沼津を舞台にした壮大なミュージカルです。劇場版から見た方(7%くらいでしょうか)は、はぁぁぁっと驚くかもしれませんがラブライブ!恒例の演出なので突っ込むこと自体野暮です。

 

 後、沼津のみんな(男性もいるよ!)で踊るのですがμ'sの映画で本曲の立ち位置は映画終盤のSUNNY DAY SONGであることから本映画が前作μ'sの映画とは異なる物語であることを示唆します。

www.youtube.com

 

冒頭7分の映像も公開されてます。実際の映像はこんな感じですね。

www.youtube.com

 

 新しいAqours始動、といいたいが…(沼津編前半)

「Aqoursのこれから」の結論とは?

 壮大な旅立ったふり工作をしてまで伝えたかった「Aqoursのこれから」ですが、結論から言うと、3年生からは「Aqours」を6人で続けなさいという勅命が下りました。

 

 映画を見た皆さんならお気づきでしょうがこの結論は、μ'sの「μ'sはこの9人だけだから3年生卒業でおしまいとしよう」とは対照的です。当然ながら映画の展開も前作とは大きく異なってきます(前作は見てないですが)。

 

本映画の主題の大きな部分は、「(1・2年生の)6人で新しいAqoursも本当に輝いてけるのか?」という点で他の登場人物の問題もひっくるめて『自立』がkey wordです。

 

2期13話の『wonderful stories』において、輝きの定義を千歌が

”わかった。

 私が探していた輝き…私たちの輝き。

 あがいてあがいてあがきまくって…やっと分かった!

 …最初からあったんだ!

 初めて見たあの時から…

 何もかも一歩一歩、私たちが過ごした時間のすべてが、

 それが輝きだったんだ!

 探していた私たちの、輝きだったんだ!”

 とやっと掴み、アニメスタートから延々とバズワード見たく語られた「輝き」とはというテーマには一応の終止符が打たれました。しかし現実は無情なことに、「輝き」そのものであった「私たちが過ごした時間」の中にこれから3年生3人はもういません。

 

 ですが、これからは自分たち3人がいなくても「輝き」を見出していけるだろうor「輝き」を見出してほしいという願いがあったから、「Aqoursを続けよ」と勅命したのでしょう。

 

「Aqoursを続けよ」という指令を受けた6人は、浦の星女学院が無くなったことから様々な環境の変化を受けつつも活動を続けようと奮闘します。練習場所が使えなくなっても、鞠莉に頼ったりせず自分たちだけで探そうとしたり、当面は原点の「砂浜」で練習したりと前向きに活動をしようとします。

 

まあ、統合先のクソとしか形容しようのない現実のせいで全て打ち砕かれるのですが…

 

統合先の校舎にたどり着いた千歌たちですが、

「静真高等学校 浦の星女学院分校

 

…分校

 

…分校

 

分光 いや違う

 

 大事なことなので3回書きました。ボロ校舎で教室が1教室しかないので、過密で授業が出来ず「メンバーを含む生徒たちがおしくらまんじゅう」を想像したルビィがピギィ!と騒ぎましたがそんなことはもはや枝葉末節です。

 

 ああ、統合先の「静真高等学校」とやらは浦の星出身者を対等な自校の生徒として受け入れる気はサラサラなく、2級国民ならぬ2級生徒扱いという本音がこの描写だけで丸わかりです。いやもっと言うと、2級国民ならまだしも植民地扱いでしょうか。黒衣いや酷い。

 

まあ、その予測は大当たりだったのですが…

 

曜に彼氏が?謎の美少年現る! そして2級生徒扱いの真相は?

 と煽りましたが、ラブライブの世界に美少年など現れるわけもなく普通のいやイケメン美少女です。渡辺月というのいとこで、Aqoursにもμ'sにも虹が咲にもでいそうでいなかった「僕っ子」が登場しました。劇場版にありがちな話のkeyとなるために生まれ出た登場人物です。

 

 月は統合先の生徒会長らしくスペックも曜と同等以上なので、Aqoursに入ったら3年生の穴を埋めうる優秀な戦力になりそうですが特に勧誘する描写は見られませんでした。もし加入したら、千歌が梨子みたく月に夢中となりが嫉妬ファイアーver2... でしょうか。

 

そんな月ですが、彼女曰く「統廃合を嫌がる理由としては、静真では部活動が活発だけど浦の星みたいな零細高校が入るとだらける(という父兄の反対)」があるからで「全国レベルの実績を持つ部活などあるのか?」だそうです。

 

統廃合反対理由ですが

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としか言いようがありません。

 

 浦の星側だって好き好んで統合される訳でもないのに、この仕打ちです。だれがこの高校と統合してくれと頼んだのが疑問ですし、千歌たちがこんな学校に統合されないようにあがいてあがいて統廃合を阻止しようとしたのも当然でしょう。

 

 というか、浦の星が入る程度でだらける部活なんて無理やりやらされているだけで実力とやらもハリボテなのではという疑問も残りますし、そんな程度のモチベーションなら退部してバイトなり遊びなり学業なりに費やした方が実りがあるでしょうに。それとも静真は部活強制校なのでしょうかねぇ。部活強制とか今どきブラックです。

 

 ここら辺は終盤のあるシーンでそのような雰囲気があったことを認めていたりしますので、そのシーンになったら取り上げたいと思います。

 

 ちなみに反対しているのは、「父兄」という「大人」だけである点が大きなポイントです。生徒サイドは反対と思っている描写は無く、統廃合反対の真実を伝えたにせよいとこが在籍しているという点を差し引いてもAqoursに関しては終始協力的です。そもそも生徒側も反対しているなら曜も月に相談したりしないですが。

 

 なので統廃合の問題は静真vs浦の星という対立構造ではなく、大人(一部の)vs子どもという対立構造といえるでしょうか。「大人(一部の)vs子ども」という対立構造は後述するAqoursを取り巻くもう1つの問題でも共通してみられる点で本映画の重要なポイントとなります。

 

そのようなわけで分校化阻止のために、統合先の学校の部活動発表会で時間を貰ってアピールすることになったのですが…

 

「6人で続けるってどういうこと」?

 結論から言うと、6人の初ライブは大失敗に終わりました。校舎キレイすぎとか、「6人って少ない」とか雰囲気にのまれていた時点であっ、ダメだなと確信していました。どことなく、1期8話の「くやしくないの?」を彷彿とさせる展開でした。

 

メンバーの具体的な心情としては、

花丸「落ち着かないずら…」

ルビィ「お姉ちゃん…」

 ...まるで成長していないどころか、1期8話に退行しているじゃん。

 

 というか、この時も1・2年生6人でやって同じような展開だったのでAqoursにとって「6人」というのは演技がが悪いでしょう。なので、Aqoursの運が上向きになる人数を占い師に見てもらうべきなのでは?と感じましたね。

 

 そんなこんなで、

千歌が「急に不安になってきた」と梨子に話すと

梨子「スクールアイドルって誤解されやすい」

because いつも笑顔だから真剣みが足りない

and 楽しそうだから遊んでいる

 梨子の発言って確かに的を得ていて、アイドルアニメでも定番のテーマなんですが、千歌は「そんなのは分かっている。6人で続けるってどういうことなの?」という難題を突き付けてきます。

 

 千歌の発言なら裏を返せば「スクールアイドルって誤解されやすい」の段階は既にクリアしていることが分かりますね。まあ、某函館2人組妹に「ラブライブ!は遊びじゃない」とかメンタル面でしごかれただけはあります。

 

 「6人で続けるってどういうこと?」は9人のまま解散したμ'sも未経験な「輝きって何?」をミュージカルでクリアした千歌たちに待ち受ける未知のゾーンで本映画のメインテーマとなっていきます。後のイタリアや鞠莉云々ははっきり言って本映画にとってはそのついでに過ぎません。

 

 

Saint snow Again と理亞のヒステリー再発!

統合先の初ライブで挫折してしまった新生Aqoursですが千歌はSaint snowを呼びつけて実力を評価してもらいます。たまたま東京に卒業旅行(卒業しない理亞がいるのは謎ですが後述します)に来ていた2人ので呼びつけて、6人の評価をしてもらうことになりました。

 

 

他のメンバーは、

ここで2人からお墨付きを得て、千歌ちゃん(と自分たち)に自信を付けてもらうんだ。

 くらいのキモチだったに違いありません。

 

が、その目論見は大外れな結果に終わりました。

 

姉の聖良からは、

ラブライブ!決勝を100とすると今は30、いや20といっていいでしょう

 

そして、抜けた3年生のことを

松浦果南のダンスとリズム感、

小原鞠莉の歌唱力

黒澤ダイヤの華やかさと存在感

 と評しました。某アイドル育成ゲームの属性で言えば、果南:Da,鞠莉:Vo,ダイヤ:Viといったところでしょうか。最も聖良も単純に3年生でAqoursの70~80%のパフォーマンスを占めていたいう意味合いではないでしょう。

 

 とはいえ、1・2年生だけで挑んだ東京のライブでは「ラブライブ!は遊びじゃない!」とやら「ラブライブ!は諦めるべき」と姉妹に煽られていたのでラブライブ!優勝まで1・2年生がスクールアイドルでも先輩である3年生に依存していたのは事実でしょう。しかし3年生には頼れない。では…という禅問答となってしまいます。

 

そして、「どうすればいいのか」と理亞に聞くと

「そんなこと自分で考えろ! 3年生は…もういないんだ!」

 と八つ当たりして走り去ってしまいます。「3年生」というのはAqoursに向けてなら勿論、3年生のことですが理亞にとっては「姉さま」こと聖良のことを指します。その姉がいなくなった寂しさや喪失感というものが、不甲斐ないAqoursを見てぶつけられたという感じでしょうね。

 

ルビィだけは理亞を追いかけて、

「ごめんね。理亞ちゃんは1人で頑張っているのに…」

 と理亞に謝るものの

「ラブライブ!は遊びじゃない…」

 と1期8話のあの言葉をそのまま言われ、逆切れされてしまいます。

 

 

 2人が沼津に呼ばれたのは、聖良の卒業旅行で東京に居たからですが理亞がなぜ卒業旅行についていったのかは謎に感じました。

 

聖良が「理亞もいきたがっていました」という発言から、2期8話の喪失から立ち直れない理亞のための旅行である可能性は高いですが断定はできないですね。

 

 そしてイタリア(伊太利亜)へ...

そんな中唐突に1期3話と全く同じシチュエーションでヘリコプターが現れます。現れたのは鞠莉ではなく、劇場版2人目のオリジナル登場人物である鞠莉の母親が登場します。鞠莉の母親は、鞠莉たち3人を探してほしいということで大げさなコイン演出(チョコで、花丸は例によって食べようとしていたのには笑いました)で相応の報酬を約束してまで依頼をしてきました。

 

鞠莉以外の2人に対しては、ハグゥデスワァという半ば悪口的なあだ名で呼んでいることから少なくとも3年生に関しては良く思っていないことが分かりますね。

 

 1・2年生である千歌たちに関しては、ここでも後でも敵対的な場面はなく「お世話になった」と社交辞令にあるにしろ言っていることからあだ名をつけられることは無さそうですね。

 

何かの拍子で、鞠莉母があだ名がつけるようになれば

ルビィ→ピギィ

花丸→ズラァ

善子→ヨハネ

梨子→リリー

曜→ヨーソロ―

 辺りでしょうかね。千歌だけは思いつきません… そういえばリリーは後で善子が呼ぼうとして、梨子が「リリー禁止」と突っ込む場面がありましたがあの場面は意味があったのだろうかと2回見た今でも思います。

 

そんなこんなで、イタリアに旅立つことになる一行(例の月も同行します。イタリア在住経験ありというご都合主義満載な設定付きで)ですが…果たして一体

 

伊太利亜編

千歌たち、ダシに使われたの発覚の件

 イタリアまでの移動は全カットです。別に千歌たちがイタリアガイドする映画ではないですからしょうがないね。例によって花丸は食べてたりします。そして、鞠莉母からのお使いである「行方不明の鞠莉たち3人」はあっさりと達成します。

 

ところが、3年生3人は千歌たちをいきなり煙に巻いたうえで更に別の場所に逃亡します。そう、鞠莉母の言っていた行方不明は嘘で始めから千歌たちをダシに取っ捕まえる算段だったのです。千歌たちを煽って鞠莉たちを探させたことになり、流石鞠莉母も多国籍企業の一族とあってかなり強かな人物ですね。まあ、卒業旅行と偽って果南とダイヤを使う鞠莉も鞠莉なので気質的には似ているのでしょうが。

 

3年生は千歌たち(というか曜と月を)囚人服で煙に巻くのですが、曜と月の反応が全く同じなのは流石従妹といったところでしょうか。ここで投げられた制服?が囚人服なのは自由を奪おうとする、鞠莉母(≒看守)からの逃亡を表しているというのを初回ではなく2回目に気づきました。スペックが相互互換である月のせいもあってか、劇場版では梨子に比べても地味な役回りな気もします。

 

 ここで2曲目となる劇場挿入歌である「逃走迷走メビウスループ」が流れます。曲自体はミュージカルなのですが「自由」を求めて逃走する3年生3人の様が上手く表現されている名曲でしたね。

 

 

ここで本題とは離れますが、初日舞台あいさつで見どころの1つとして語られていた千歌たちのイタリアに着いた様子について2回目での所見を書いていきたいと思います。

ルビィ→怖い像を見て泣き出すなど怖がっていた印象(ダイヤの影響大)

花丸→食べていたのとバテていた

善子→ヨハネの聖地なこともあってヨハネ化がすざましい

梨子→結構常識人だったような気

→割と溶け込んでいた(月の影響もあり)

千歌→後ろを付いていったりして飲まれていた感は否めない

 ルビィが怖がりだったり、花丸がやたら食べているのはギャグ面も強かったですが善子のヨハネ化は割とイタリアでのシナリオを動かす役割を担っていましたね。

 

 一行は「ヨハネの守護聖人の聖地」というキーワードを手掛かりに、フィレンツェに向かいます。

 

 

 

鞠莉たちと再会するも…

鞠莉たちを追って「ヨハネ守護聖人の聖地」というワードを読み解いてそれだけを頼りにフィレンチェに向かった千歌一行ですが…そうそう簡単には見つかりません。花丸(前半シーンばてているところと食べているシーンしかない気が)を筆頭に相変わらずグルメに走るものの善子が行方不明になってしまい… 

 

善子はヨハネの聖地だけあってヨハネに扮していて、自称天使として振る舞おうとするものの目的地として3年生のメモに提示されたサン・ジョヴァンニ洗礼堂へ入場料として15ユーロ(日本円で1800円くらい)請求され花丸に「全然天使じゃないズラ」と突っ込まれるシーンは少しツボに入りましたね。

 

この間に、千歌たちが鞠莉母に唆されたからイタリアに来たわけではないことに3人は気づきます。

 

洗礼堂まで登った一行は、ダイヤのイメージカラーである赤の光を発見して鞠莉の親戚から手配してもらった物件に向かいます。そこで、鞠莉がなぜダイヤや果南を巻き込んで逃亡劇をいるのか明かされました。

 

果南曰く、決闘でも潔癖でも傑作でもなく鞠莉が「結婚」させられようとしているからと明かされました。鞠莉は「ふざけないで!」と怒りましたが、いつまでも逃げおおせるわけでもないので明かしたのは当然でしょう。逃げおおせたとして、4月からはダイヤや果南にもそれぞれの進路先があるわけですし鞠莉母が時間稼ぎをしたところで態度を軟化させるとは到底思えません。

 

結婚の件詳細としては、3人の話を総合すると「鞠莉の自由を奪うために一度もあったことのない相手と縁談をさせられる」という件で普通に毒親もいいところです。まあ、あったことのない相手との縁談自体は昔の日本でもありましたが「自由」を奪うためという理由は流石に「毒親」という評は逃れません。

 

そして、ついに鞠莉母に見つかってしまう時が来てしまい…

 

鞠莉母との直接対決

鞠莉母に見つかってしまった千歌たち一行です。鞠莉のこれまで自分で考えてきた行い(理事長就任etc)だけでなく「スクールアイドル」に関しても「下らない」の一言で全否定してしまい鞠莉だけでなく他のメンバーの怒りも買ってしまいます。しかもその理由が「結果を残していない(廃校阻止できず,卒業資格喪失etc)」という非情なものなのでなおさらです。

 

スクールアイドルではラブライブ!優勝したと結果をアピールしても「下らない」の一言で終わりです。鞠莉たちを追い詰める手法は巧妙ですがスクールアイドルに対する態度としては、統合先の高校の一部父兄と同レベルでしかありません。というか、マクロ(≒学校問題)とミクロ(≒小原家の問題)で理解されない「スクールアイドル」を理解させるという共通の構図が出来上がっています。

 

統合先の父兄や鞠莉母がスクールアイドルを理解しないというか誤解している構図としては、序盤のちかりこの会話での梨子のこの会話で大体わかると思います。

梨子「スクールアイドルって誤解されやすい」

because いつも笑顔だから真剣みが足りない

and 楽しそうだから遊んでいる

 

 

まあ要は、スクールアイドルに限らず自分が理解できないことは日本一いや世界一だろうが「下らない」と一笑される普遍的な構図ですね。

 

この瞬間鞠莉だけの問題ではなく、Aqours全員の侮辱にあたることになりダイヤや果南も鞠莉を連れて帰ろうとする鞠莉母の腕をつかんでいますしね。

 

当然ながら鞠莉は「下らなくなんかない」と鞠莉母に怒りをあらわに反抗しました。というか反抗しないと逆に他のメンバーからお前のスクールアイドルへの熱意はその程度かと失望されるくらいの状況ですからね。

 

鞠莉(とその周囲)の様子を見て鞠莉母も譲歩し、「イタリアのライブで周囲を感動(勘当)させられたら」「自由(果南やダイヤとも自由に会うことができる)」にしてよいという条件を提示します。まあ、鞠莉(と周囲)の反抗具合から力で言う事を聞かせようとしても無駄だと悟ったのでしょう。ラブライブ!とやらがどんなものかは知らないけれど、イタリアという異文化の地でそう簡単に人を感動などさせられるまいという侮りは少なからず母の間にはあったと思いますね。まあ、その目論見はいい意味で崩れるのですが。

 

勝ち取れ?鞠莉の自由

そうして、鞠莉の自由を勝ち取る?ためにイタリアでライブを行うことになった9人です。花丸が相も変わらず食べているシーンが目につきますが、2回目で気づいたのは鞠莉が当事者なのにライブ場所としてトレビの泉や真実の口を例にあげつつ「みんなと居れて嬉しい」と完全に観光気分だった点です。

 

 もしもライブで鞠莉母に認められなければ、強制的に縁談させられ果南やダイヤとも絶縁させられる…人生のBadエンド突入にも関わらずです。現にこのシーンでダイヤにも「あなたが言い出したことですよ」と突っ込まれていますし。

 

 これについて見終わった後に、他のブロガーさんの感想なんかも見てみてたどり着いた結論としては鞠莉母から「ライブで感動云々」という条件を引き出した時点でこの問題は半分終わっていたのかなと。

 

 映画を見た方なら分るでしょうが、例の分校云々の問題も終盤では有名無実化していますし。最も映画だけでなくアニメ版のラブライブ!決勝(2期12話)にせよライブそのものよりもそこに至るまでの心情で9割が占めているので、結果よりプロセス重視という作風を地で行っているというだけですが...

 

そうライブの場所についてですが、1年生(主にルビィ)が

 

 「ちょっと…話があるずら。」
「私達1年生でも話し合ったんだけど…」
「今度のライブでステージに使う場所は、ルビィ達で決めさせて欲しい!」

 と1年生がメインで決めたいという分かりやすい成長描写がありましたね。その中でもルビィが主導というのは、函館ライブでの経験が大きいですね。

 

さてここからイタリアライブに移るのですが、その前に千歌と果南との会話が「これからのAqours」で重要なので言及しておきます。

千歌の「新しいAqoursって何だろう?」にたいして

果南は「3人の気持ちは見えなくてもずっとここにある」と答えます。

ここの果南の発言から、千歌の意識は少しづつ変わっていくことになります。

 

踊れ、歌え!イタリアでも! 

そしてついに?鞠莉の運命が決まるイタリアでの9人のライブの日がやってきました。

 

挿入歌「Hop? Stop? Nonstop!」のライブシーンはyoutube上で公開されているので見てほしいです。

 

曲の感想も、ラブライブ!サンシャイン!!劇場版『逃走迷走メビウスループ/Hop? Stop? Nonstop!』感想 

で書いたので是非どうぞ!

 

この段階になると、鞠莉の婚約問題は半ば解決したも同然ですので(本気で強制縁談するつもりならば小原家の力で誘拐してでも連れていくでしょうし)鞠莉がどうなるか云々は殆ど心配はしてなかったですね。

 

 ライブ会場として1は最終的には、「スペイン広場」を選択しましたがその理由としては「沼津に似ているから」ということでした。「沼津に似ているから」というのは何気に重要ワードで、Aqoursのこれからの活動のkeyになるなと映画を見終わってから良く考えると思いますね。

 

ルビィの成長描写として、この一連のライブが上手く言ったことを踏まえ

ダイヤ 「ルビィはもう、1人でなんでもできるのですわ。なんでも!」

 と。日本帰国後に再燃するSaint snow問題も含めてルビィは劇場版で一番成長した結果が示されていると感じましたね。そのあおりを受けた他のメンバー(花丸とか)が埋没している感は否めませんが…

 

そして肝心の鞠莉の問題ですが、ライブ中に鞠莉母の顔色が変わっていることから分かる通り反応としては上出来で

鞠莉

 「パパやママが私を育ててくれたように、Aqoursや皆が私を育てたの。なに一つ、手放すことなんてできない。」

といっただけで何も語ることなく撤収しました。以後台詞は無く、事実上鞠莉の問題は解決したことが分かります。ここからは鞠莉含む3年生は、新たなスタートを切るAqoursを見守るためだけにいる存在となります。

 

日本に帰国したAqours…そして。

 

 

 引き続き、ここからも追記していきます。